ずっと待っていた、シルクが出来ました。

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祈念のための染色

 

古代の色彩と染色法の研究者である前田雨城さんの著書、

『日本古代の色彩と染め』によると、古代の人々は、自分の身を守るための

祈念と薬効効果を得るために、衣類を染色して身につけていたとされます。

 

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強い木霊の宿る草木は、薬用として使用された。薬草に宿る霊能が、

病気という悪霊によってひきおこされた病状や苦痛を人体からとりのぞき、

悪霊をしりぞける作用があるとされたのである。当時の衣類などの繊維品は、

その色彩を得るための草木を、いずれも薬草から選んでいるのは、

この理由によるのである。

 

なお、色彩起源説としては、恋愛色、種族区別色、戦闘色、その他各説が

存在している。それぞれ根拠を持った説であるが、古代日本の色彩起源として、

現存している色彩から考察する時、やはり薬用植物色と考えるのがもっとも妥当といえる。

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薬をのむことを服薬といいますが、古代人は、病気の原因となる悪霊が

体内に入り込まないように、色彩の強いものや悪霊がいやがる

臭いのきついもので衣類を染色してきたのです。

染料と身体の関係

 

最近では、染料と身体の関係も研究されています。毎日着ている衣服を通して、

皮膚から入っていくものが身体に影響を与えているというのです。

 

衣服を染める材料として、古くから使用されてきた薬草は少なくありません。

植物染料の中には、病気やけがを治し、健康を保つために使われるものも多くあります。

 

例えば昔は、女性は紅染めの肌着やお腰を付けていましたが、

紅は血行をよくする作用があるため、長時間身につける事で循環機能を

高める効果がありました。また、藍の匂いは、虫や蛇が嫌う作用があるため、

野良仕事の時に重宝されましたし、茜は滋養強壮や抗菌作用などに、

また、栗染めは皮膚病に効くとされてきました。

 

現代のように科学的根拠はなくとも、経験から植物を選び、

生活に役立ててきたのです。

色と染料

 

時代によって変化はありますが、総じて紫や赤は上層階級の色、

縹色(藍染)、桃色(一斤染め)、茶色、鼠色は庶民的な色とされてきました。

紫は藍と紅、又は紫草、赤は紅を染料とし、高価なうえ手間もかかるため、

庶民的ではなかったようです。縹色は藍染ですが、江戸時代になると綿の普及や

染色技術の向上により一般的になりました。桃色(一斤染め)は紅花染めですが、

紅の残り液で染めるようなものだったので安価です。茶は身近な植物すべてが持つ

タンニンを注出して染められ、鼠も身近な団栗や墨を使うので安価でした。 

 

今は高貴な色、庶民的な色などと気にして衣服を着る必要はありませんが、

日本の自然を豊かな感性で取り入れてきた先人に学びながら、美しい色彩を

日々の暮らしの中に取り入れていきたいものです。

四十八茶百鼠

 

身分と色を厳格に結びつけた歴史がある一方、身分に関わらず色を楽しんだ歴史も見られます。

 

例えば江戸時代後期、庶民は贅沢禁止法、いわゆる奢侈禁止令により、

紫や紅色などの華やかな色彩の使用は禁じられ、着物の素材は「麻」または」綿」、

色は「茶色」「鼠色」「藍色」のみと限定されていました。

 

しかし、茶色や鼠色といった暗い色のなかに繊細なこだわりを取り入れることにより、

「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」と言われるほどの多様な色を

生み出したのです。

 

ここで使われている「四十八」「百」という数字は「沢山」という意味で使われており、

実際には茶系も鼠色系もそれ以上の色がありました。

 

今よりも「色」が貴重だったからこそ、現代では考えられないほど「色」に込められた

「想い」も深かったのでしょう。様々な制約のある中で、微妙な色の違いを楽しんでいた

江戸時代の人々の力強さを感じます。

季に合いたる色

 

日本独自の色の文化が花開いたのは平安時代と言われています。

飛鳥、奈良時代は中国の隋や唐の影響を多く受けていましたが、平安時代に

菅原道真が遣唐使を廃止した結果、日本独特の自然観が生じました。

 

こうした時代背景から ひらがなの発明があり、それを用いて歌が詠まれるようになります。

その時、主題となったのが季節感でした。

日本の四季の移り変わりを楽しみ、尊び、歌に表現していったのです。

 

また、源氏物語が生まれた平安時代、季節を敏感に感じて

「季に合いたる(季節に準じた)」色をまとい、生活の中に取り入れることも

貴族のたしなみとされました。

当時、着物に使用されていた絹は非常に薄く、裏地の色が表に透けて

独特の色味が現れたことから、人々は衣装一枚ごとの表裏の色合いや

光が透過した時に見える微妙な色合いの違いを楽しんできたのです。