ずっと待っていた、シルクが出来ました。

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平安書物に見る紫

紫色は平安時代の貴族たちの間でも好まれたようで、この時代を代表する書物にも

多くの用例が描かれています。

 

古今和歌集

紫のひともとゆへに むさし野の 草はみながらあはれとぞみる(詠み人不明)

 

これは愛する人を紫草に例えて詠まれた歌で、愛しい一人の人を想えば、

その人に関わる全ての人達も愛おしく思えるという意味になります。

また、紫の根を和紙に包んでおくと和紙に色が移るので、自分の色を想う人に

移して染めたいという思いもあったとされます。

愛する人を一本の紫草に例える感性の豊かさや、紫色に込めた想いの大きさに、

畏敬の念すら覚えます。

 

源氏物語

作者 紫式部の名に紫が入っているのはもちろん、紫の上や藤壺など、

主要な登場人物に紫を連想させる名前がついていることから、「紫の物語」と

呼ばれる事もあります。

文章中でも、例えば光源氏が紫の上に葡萄染の小袿を与えている場面など、

色についての描写が大変細かく、光源氏を軸とした登場人物の関係性が

色で表現されていることに新鮮な驚きがあります。

 

枕草子

清少納言による「枕草子」にも紫が多く登場します。

 

春はあけぼの。

やうやう白くなり行く、山ぎは少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。

訳:春は曙がいい。次第に白んでいくと、山際の空が少し明るくなって、

紫がかった雲が細くたなびいているのがいい。

 

大納言殿の参りたまへるなりけり。御直衣(なほし)、指貫(さしぬき)の紫の色、

雪にはえていみじうをかし。(第百八十四段:宮に初めて参りたるころから抜粋)

訳: しかし、それは関白殿ではなく大納言殿(藤原伊周)が参上されたのだった。

着ていらっしゃる御直衣や指貫の紫の色が、白い雪に映えてとても美しい。


この他にも、「花も糸も紙もすべて、なにもなにも、むらさきなるものはめでたくこそあれ。」と

紫のものは全て美しいとさえ表現しています。

 

平安貴族たちにとって紫は、色以上に大切な存在だったようです。

冠位十二階における紫

推古天皇の摂政であった聖徳太子によって603年に制定されたとされている

冠位十二階(かんいじゅうにかい)と呼ばれる日本最初の冠位制度においては、

朝廷に仕える官吏や貴族たちの位が大徳・小徳・大仁・小仁・大礼・小礼・

大信・小信・大義・小義・大智・小智という十二の階級へと区分けされたうえで、

それぞれの階級に対応する十二の色が割り振られ、各自が宮中に参内する時に

身に付ける冠の色の違いによって、冠位の違いのあり方が明示されていくことになります。

 

具体的にどの位が何色を用いていたのかが記録として残っていないため、

はっきりとしたことは分かっていませんが、中国の思想である儒教の五常がもとに

なっていることから、「五行五色説」が有力になっています。

五行とは万物の元素である木・火・土・金・水を指し、それぞれが五常である

仁・礼・信・義・智に対応しているという考えで、それぞれに色が割り振られています。

いずれも古代中国の思想から生まれた考え方で、これに従うと色は次のとおりです。

 

仁:木=青
礼:火=赤
信:土=黄
義:金=白
智:水=黒

 

最高位の徳は上記にあてはまりませんが、蘇我蝦夷(そがのえみし)や蘇我入鹿などが

紫冠を用いていたとの記録から、紫である説が有力です。紫色を高貴な色として

重視する傾向は、陰陽思想や儒教思想のうちにではなく、古代中国における

民間信仰や不老長寿を求める神仙思想を基盤として、そこに、陰陽思想や、

老子や荘子といった道家思想、さらに、後代においては、仏教思想なども

取り入れられることによって成立していった宗教思想である道教思想のうちに

見られる傾向であると考えられています。

 

道教思想においては、人間社会における様々な事象の変化を説明するための

道筋として、宇宙における天体の運行のあり方が重視されていくことになるのですが、

例えば、地上から見ると自らはほとんど動かず、他のすべての星々がその周りを

回転しているように見える北極星が神格化されて、北極紫微大帝(ほっきょくしびたいてい)と

呼ばれる至高神の一柱として位置づけられていくことになります。

道教における至高神の名前に紫という字が用いられていたことは、

紫色を最上位の色として位置づけるという冠位十二階における色の選定のあり方と

同様の傾向を見いだすことができると考えられます。