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侘び茶
2020年11月2日
室町時代には、貴族や武士の間で、中国渡来の豪華な茶道具を
台子に飾った茶の湯の式である「書院茶」が広まりましたが、中期以降、
能阿弥から書院茶の指導を受けた村田珠光が、当時庶民の間で流行していた
「下々の茶」の様式を取り入れるとともに、一体宗純に学んだ禅の精神を加えて、
新しい茶会を考案しました。
それが、連歌などに代表される日本的な不足の美と心の静寂を求める「侘(わ)び茶」です。
「月も雲間のなきは嫌にて候」
満月の皓々(こうこう)と輝く月よりも、雲の間に見え隠れする月の方が美しい
この文章にも表れているように、村田珠光は不完全な美を尊ぶ精神を
侘び茶の中で主張したのです。
その後、侘び茶の方式は、堺の武野紹鴎(たけの しょうおう)を経て、
千利休によって完成されることになりますが、千利休は木、土、石、わら、竹などの
自然素材を大切にし、自然界の色合いになじませつつ茶会の道具や
懐石、茶室の部分に工夫を凝らしました。
そのため色彩も、色みや清色の少ない簡素な色彩美で、茶系や緑系を
中心にした渋みのある中間色が多用されることとなりました。